満月の首都高
満月の夜に私は首都高をひとりで走る。
今日は仕事だ。
20代、関東へやって来た時に初めて男の人に誘われてたデートが首都高のドライブだった。
彼は雰囲気の良い音楽を流し、首都高を走りながら都内の夜景を見せてくれた。
これが東京だよと言わんばかりだった。
翌週、私の誕生日に私の年齢の数分のバラの花が贈られた。…嬉しいよりは、その花を飾るだけの花瓶がない事を憂いた記憶がある。
それからもスポーツ観戦だ、海外旅行だの誘われた。
彼は私のことが好きだったんだと思うけど、私の気持ちには全然響かなかったんだ。
好きになれないのは、私の努力不足だって思ってしまったくらい。
地方の小さい町から引越しの手伝いに来た両親からは、車が多くて危険だから首都高は出来るだけ走るなって言われた。
車線の数も、走る車の数も、道路の複雑さも田舎の国道とは勝手が違う。
現在の私ときたら、ひとりでアクアラインから首都高へ、お台場を傍に見ながら運転をしている。
ふと故郷が脳裏によぎり、昔はあの町でも夏のお祭りは大々的にされて、ミスコンがあったことを思い出す。
小学生の頃には未来の町の版画を学年全員の作品で作ったっけ。
未来の町は、モノレールやロボットがあり、首都高みたいな複雑な道路も引かれている。
人だって溢れかえってる。
…平成の大合併で合併したものの、集落の幾つかは限界集落な町というのが現実だ。
この車は引越した時に持ってきた車。
初めて自分で新車を買った車。
この車を廃車にする時、私は…日本のどれくらいの人達が車を買うのに躊躇わず帰るのだろうかと考える。
満月の光がやけに明るく、夜景の光を打ち消す。
私は滑らかなスピードで自宅まで車を走らせた。