fetish hole

18禁の内容です。フェチズムやSMに関するものと心の内面にフォーカスした内容が多いです。

秋の夜長、うつつ…諸行無常さと人の強欲さ

若い頃からずっとある絶望感。

今でも忙しくなると、絶望感を抱く。

一体どれだけの仕事やタスクをこなせば許してくれるのだろう?
これは誰かの期待に応えるためなのだろうか?

一定の人達が私を育成してくれようとすることは分かりつつも、その通りのキャリアを私はきっと歩まない。


タイムラインで流れてくるトー横で今この瞬間の生を感じるべく、薬とSEXとで満たそうとする者と、それを撮影する若者と、そんな世界をあざ笑う者と。バズるのに必死なインフルエンサーとか。

除草剤を撒いたほうが景観がイイとか思っている経営層とか。

あるいは、性加害のアイドル組織をこっぴどくたたくことで、自分正義に酔いしれているとか。

誰かを悪にして、自分をヒーローにしたり、インスタントに得られる快楽を手あたり次第手に入れないといたたまれない状態だったり…。

何が正常で何が異常なのかが良く分からなくなる。

 

昨今の宗教問題や性加害の問題においては、許されるものではないけれども、そのような構図は至る所で散見されるのだ。

人間レベルというか、動物レベルでもそうで、強いものは強く、弱者は弱者のままだ。

弱者なのに世に輝いている者は、それはその人の才能や努力であり、力なのである。

どのような世界でも、強い者は弱い者を食らうのだ。

 

私はリアルな世界でもドMだねと言われる。

自分の資質的にはMが強いのだと思うのだけれども、それは一定の条件でないと開花しない。

どこでそういった本性を発揮するか…それは極限まで追い込んでどうするかという事なのかもしれない。

いい年齢にもなったけれども、まだまだ自分の伸びしろはあると思っている。

それは体力や外見というものではなく、「人」として。若さや体力は有限的であるが、自分の生きた証をどこまで広げていくかは智慧次第の部分がある。

 

冒頭にも書いたが、私自身が私に絶望をしている。ただ一方で、自分のフェチズムや知的好奇心の探求は渇望をしている。
時々頭の中でドラムとベースが脳内でリズムを奏でる。

「さあさあ、脳みそをパカッと開く時間だよ」と、黒い私がぬるりと出てくる。

「今宵は私の出番ですね。楽しみにしてました。年に数えるしかありませんものね」

「ささっ、私が待ち焦がれていたあなたを食べたい人がいるのだから、自由に暴れなさい。彼の元で息絶える程、快楽に踊り狂いなさい」
そんなような指示を出してくる。

 

黒い私は強欲極まりない。

私自身も私を食らいたい者も、支配したくてたまらない存在だ。
それが建設的に働けば、知的好奇心が動機づけとなり、人が嫌がることもどんどん巻き込んで推進していく。
去る者を引き留める程愚かなことはせず、心酔するような者に対し、どんどんと沈めていく方が黒い私にとっては都合が良いのだ。

 

きっと多かれ少なかれ、人は欲にまみれている。強者になるか、弱者になるかは、どれだけ強い欲求か否かだと思う。

エロティシズムと誕生日を迎えた世界で想う

1年で一番誕生日が多いのが9月生まれだそうだ。

そんなことをニュースで見つつ、9月から少し生活が変わり、5時に起きて支度をし、23時に寝る生活を送っていた。

 

幼少期に抱いていた変な感覚は、年月を経てこれが自分だという感覚と、自分は世の中的には大分ズレたところにいるのもクリアカットになってきた。

知的好奇心のまま、社会人大学院生までしている訳だが、博士までくるとそれなりに知的レベルが高い。その一方で、博士という学位を取るためのこと以外には一切興味がない人もかなりのレベルでいる。研究が心底好きな人なんて本当にわずかなんだと思う。

研究が好きというワクワクかんなんかより、とにかく必要条件をクリアすれば良いとか、自分の名を世に知らしめたいとか、本数を書いて出世するとか、そういう風に思う人が圧倒的なんだと思った。

これは昨今のSNSとかでも同じことが言えていて、特にXになって収益化の事があるとより一層その辺りが顕著になり、なんだかfakeも、過去の投稿も、もはやパクりまくって、プロパガンダしまくってもお金が欲しかったり名誉が欲しかったりするもんだと、美しくない世界が広がる。

 

私は馬鹿みたいに実現しない妄想を日々投稿する。
これが実現してもおそらくまた違う何かが私の脳をジャックする。
欲とは果てしなく湧き上がるものである。

自分の求める世界観が脳みそにはそれなりに確立されていて、私の中ではそれなりの色合いやいびつさが相まっている。ああこれがこの人の世界なのねという世界は、あからさまに下劣なものもあれば、美しく象るものも存在する。

そのような脳内であるが故、例えばDJをしながらフロアに視線を向ける仕草、髪の毛をカットする際に手を頭部に固定をする仕草、電車の運転する配慮あるアナウンスや、ブレーキの踏み方、相手を縛る前の黒い瞳…等、その人の持ち合わせているものと場所がリンクする際に、エロさを感じる。

そして、それは理性的な鎧が外れた時にも思うものである。自分の内面に向き合っていたり、フェチなものに囲まれて嬉しい声が漏れる様、混ざり合って声が上ずりになる様、言語レベルが一気に対抗する様…全てが尊くて美しくて、エロなのである。

 

本当は世界中の皆に届けたくなる気持ちが沸き起こってしまうのだが、大勢の人にとってはそれは美しくもなければ、気持ち悪いものでもある。

私はそれを自分の宝物として、自分のこころと脳にしまい込む。

 

フェチズムの多くは、コレクターが多い。

自分の好きなものへの愛情は無限大なのである。

私はアイテムこそささやかなものしか所持していないが、私もまたコレクターなのである。
私の好きな人、センスのある人は大体はモニタリングするし、写真も何度も見るし、その人が見ようと見まいとも、私はテキストで綴り、ポストしたり、このような場所へ書いてWebの海の世界へ投げ込むのである。
私が誰かのコレクションになりたいように、私もまたひとりのコレクターなのである。いかにしてその人を私のそばに置くか…それは単に恋愛のような分かりやすい関係性でなくても良いのである。私の人生の中で、私との繋がりが途切れなければそれでいいので。

分かりやすい方法も取ることもあれば、そうでないこともあるけれどもね。

惜しみなく形を変え、黒い愛情を相手の器に注ぎ込む。

きっと、満杯になったら逢いたくなってしまう魔術をかけるかのごとくね。

product

私の夢は小さなころから変わっていないの。

偉くなることでも、お金持ちになることでもなく、愛する人に呑み込まれてしまいたいという願望。

 

小さな頃、アニメで悪者がヒロインを洗脳して自分の意のままにしたり、あるいは藤子不二雄ミノタウロスの皿のように、その場の世界に相応しいかたちで食べられてしまったり、注文の多い料理店なんかもそうで…つまるところ、私は私の意思なんてどうでもよくて、そこにいる圧倒的支配の中に従属してしまいたいとい願望みたいなのがずっとあったの。

もうずいぶん昔の話で、当時私の中で衝撃を受けたのが翁さんのカニバリズムの小説。

実に生々しくも美しく、それでどれだけ夢に出てきた事か…。

 

私は自立も自律もしているように見られてしまうけれども、そんな様相なんてどうでもいいの。私は誰かによって、デザインされて、誰かの支配を受けて、誰かの思考や願望のままに活かされて、愛でられて、殺められて、食されてしまうの。

 

…って願望は、今の社会では許されはしないのでしょうけれども、戦乱や混沌とした情勢の社会だったらば、そんなことは世の人など特に関心も寄せずに実現されてしまうのでしょう。

私は私自身の意思なんて要らないし、私は誰かの作品として生きていたい。

他の人が惚れ惚れしてしまったり、ため息が出てしまうような作品として生きていたい。

染み込む細胞。

あの夜の事を思い出す。

3月のあの日。あの日にいつも以上に彼は私の中に入ってきた。

ノックをするとかそういう順番はなくて、息つく間もなく、窒息しそうになるくらい、彼は私に、私の身体中に入ってきた。

 

入ってきた感覚というのは、身体全身で、脳の中でももう全ての細胞が踊り狂うかの如く反応していて、それを言語化しようにも、全くできやしない。

それどころか、何も言わずにありったけの感情を私にぶつけられるようであった。

 

自分がやがて自分でなくなっていく感覚…。

捕食されてしまい、血管も筋肉も臓器も一緒に共有されているような強烈な感覚を抱いた。

 

彼は以前から「包んで自分のものにしておきたい」とニコニコしながら言っていた。その意味合いだなんて、私の中ではただゼンタイを身につけ、快楽を貪り合う行為、私のダッチワイフ化をしたいだけなのかと思っていた。

…もちろん、その人専用のダッチワイフになれるだなんて夢のようだと思っていた。

 

ああ、そんな生ぬるい話ではなかった。

俗世間やテクノロジー生命倫理やら、そういうのが許され、発展していくのであれば、私を殺めて、食し、亡骸は飾り、食べたものは自分の血肉にし、そして祈りを捧げてまた生き返らせてそばに置いておきたい…そのような強烈な感情を抱いているように感じた。

 

彼はそんな風には言ってないけれど、私はそんな風に受け止めてしまった。私が何しても、どんな事をしても、彼は私の対象であるし、もう私は彼の視線に知らぬ間に突き刺さってしまい、抜けきれないのである。

 

突き刺さる針は緩やかに私の身体を麻痺させ、快楽ダンスを披露する。脳が溶け切って無くなり、彼の刺激により笑顔になって恥じらいもなく、寧ろこんな風にあなたを愛しているんですと、不気味に雄叫び、身体をくねらせ、懇願する狂気さである。そんな祈りを捧げながら、私は彼の核エネルギー並の強烈な感情を受け、私は…私自身は消えてなくなり、彼のモノになったのである。

 

俺と死ぬまで一緒…ひとつになったからね

僕の愛し方

さて、今日も貴女にぴったりのご衣装を用意いたしました。マットなものからツルスベまでのご用意です。

 

感覚を、よりお人形になりたいならまずは全ストで貴女を包んで差し上げましょう。

1ミリもズレないように、きれいに美しく整えて差し上げます。

 

その前に…毛も剃りましょうか。

恥ずかしくないです、大丈夫。

僕もパイパンですから。

 

いかがですか?

パイパンで身につけた全ストは?

さらにゼンタイも着ましょうか?

 

足のつま先、指先までピッタリと。

顔も表情が綺麗に見えるように整えて差し上げます。

 

まだ僕は着替えてもないのに

もうひとりで吐息を漏らしているんですね。

口元が濡れていませんか?

 

僕が君のために選んだゼンタイ

何色にするのか、どの手順で進めるかは僕次第

僕が用意した衣装と道具で、とびきり可愛くて変態な人形にしてあげる

僕の施しのままに

君は感じて、震えて、狂ってしまえば良い

僕が君を独占する権利があるし

それを君も望んでいるでしょ?

 

君の溢れ出した体液は全て

この素材にしばらく記憶される

今から僕は全力で君をぐちゃぐちゃに壊して

愛して

後で抜け殻をも愛すんだ

ランキング外

ある人に強烈に憧れて、その人に恋い焦がれた。

全てが完璧に作られた世界。

手の届かない存在。

 

そしてとある時に手を延ばせる瞬間が訪れた。

電話での紳士的な声、自分のことを欲している様子。

そして時は過ぎた。

 

その紳士は好きな人ができた。

それまでの様子とは打って変わって、その人にピュアにハマっていた。

それだけ人を愛せることは才能だ。

引き潮のような感覚になっていく自分がいた。

 

かわいい人

きれいな人

スタイルのいい人

若い人

 

いずれも私は該当しない。

 

また時は経過した。

その紳士は私が特別であることを言ってきた。

純粋に嬉しかったが、不安な事は結構あり、きっと冷やかしだと思った。
あるいは箸休め的な時間であろうと思った。

 

やはりそうだった。

ある時若い女性とSEXしたメッセージが送られてきた。

若くてきれいでスタイルがいい。

そういう女性を抱いたのだと。

「嫉妬するかい…!?」

 

嫉妬…!?

嫉妬なもんですか。

だって私はこの性癖を持ってから、より自覚をしてからというもの

表向きのランキングでは常にランキングの外にいるというのに。

 

そしてこういうマニアックな世界でも優劣が、序列があることを知る。

このレベルの、魅力的な人を自分は抱けるくらいの人間なんだぜ、そういう自分に声をかけてもらえて幸せだと思わないかい?

 

あからさまに、厳密にそのようなことを言われたわけではないが、そういう空気を毛穴から感じた。

一瞬このまま消えてしまいそうな絶望感に苛まれるが、落ち着いて自分に言い聞かす。
ベクトルが違うのだと。

この世界に限った事ではない。
表向きの世界もそうだ。

容姿、表向きな肩書き、資本。

そういうものに惹かれる人もいる。

 

表向きは優しく、しかしながら何とも言えないアンコンシャスバイアスを感じる。
それを私が丁寧にお伝えする必要もない。

その人と私の住んでいる世界が違うのだ。

ああ、いっそうのこと、宇宙の藻屑にでもなって消えてなくなってしまいたい。
その程度の絶望感は常にある。
きれいで美しい話ではない。

 

私の憧れていた人は欲深いただのひとりの人間であった。
知りたくなかった、薄々は分かっていたとしても。
尊敬していたかった、演じていて欲しかった。
そういう気持ちが、一気に崩れ去っていってしまった。

 

フェチは呪い

https://twitter.com/latina_sama/status/1584464202093457408?s=46&t=4QtkPuuR1xKq4oHI5XR1qQ

 

フェチの語源は、ポルトガル語の呪物に由来するそう。呪物をさらに調べると、今のfetishの由来は、フロイト大先生まで遡るそうです。

 

この数日、私は久々に自分の黒い欲に呑み込まれそうでした。いつもなら外で何かしらの形で発散していたのだと思います。

 

看病と感染対策と仕事と諸々…。

外出もできないので、Twitterやインスタを見ていました。若い子のフェチな子が増えたなぁとか、自らをコンテンツとして出しているなあとか、すごさと同時に自分が若かったらやるのかなぁとも考えました。

 

若い頃に、少しだけ風俗じみた事をしてみたりだとか、とあるSMサイトに写真が掲載されたりというのはあったけれども、ウンザリして…より絶望感が増すだけだったので辞めました。お金で割り切れたりとか、仕事だと思えれば楽だっただろうに…と思いましたが、人間の腹黒さばかり見えて辟易したのです。

 

フェチを性のコンテンツとして見る人がいる一方で、どうにもこうにも苦しんでいる人が一定数います(自分含め)。若い頃からネットの世界を彷徨いていたので、ピュアな方とも少なからず遭遇してきました。

 

15年以上もやり取りをしている人もいます。その時私は20代前半で、彼は高校生くらいでした。その頃からのつながりなので、私がどれだけ性に悩み、溺れ、悦になっていたかを知っている人がいます。

彼等からすると、私が今のように流れてくるコンテンツとは違う位置づけであるというのはよく理解してくれているのでは…と、勝手ながら思います。

 

また、私のツイートやブログを丁寧に読み、理解してくれようとする人達がいます。私にとっては、戦友のような存在です。

 

裏垢のくせに倫理観がどうこう言うのもおかしな話ですが、本当に向き合う人にしか出せない狂気性があるので、そういったものを戦友の皆様にお見せするのも違うなあと思うのです。

そういう狂気性は、恋愛感情よりももっとエッジが効いていて、マグマ溜まりが噴き出す瞬発性やら、墨汁が水面下に緩やかに広がる拡散性があるものなので、それらを許容出来る人にしか見せないつもりでいます。

 

そのような事が出来る人の事は、尊敬も信頼もするし、全てにかけて大切にしたいと思うのです。…ただ、私はあらゆる面で制限がありますけれど。

 

この呪いを呪い、若い頃は早くこの世から消えたい気持ちに苛まれていました。早く死にたい、早く死にたいと。 

この呪いに関しては、沢山のメッセージを貰いましたが、9.9割は私ではなく、性欲に向けられたものでした。だから自分でスタンスを見出すのには、とても苦労をしました。まだ不完全ですが、大分マシになったものです。

 

呪いは呪いのままなのか、呪いを解き明かす作業をしなければ、呪術的…非科学的に終わるのではないかという恐れがあります。

ですので、私は自分と真剣に向き合ってくれる人と、この哲学的な問いを問い続けたいと思うのです。