fetish hole

18禁の内容です。フェチズムやSMに関するものと心の内面にフォーカスした内容が多いです。

エロティシズムと誕生日を迎えた世界で想う

1年で一番誕生日が多いのが9月生まれだそうだ。

そんなことをニュースで見つつ、9月から少し生活が変わり、5時に起きて支度をし、23時に寝る生活を送っていた。

 

幼少期に抱いていた変な感覚は、年月を経てこれが自分だという感覚と、自分は世の中的には大分ズレたところにいるのもクリアカットになってきた。

知的好奇心のまま、社会人大学院生までしている訳だが、博士までくるとそれなりに知的レベルが高い。その一方で、博士という学位を取るためのこと以外には一切興味がない人もかなりのレベルでいる。研究が心底好きな人なんて本当にわずかなんだと思う。

研究が好きというワクワクかんなんかより、とにかく必要条件をクリアすれば良いとか、自分の名を世に知らしめたいとか、本数を書いて出世するとか、そういう風に思う人が圧倒的なんだと思った。

これは昨今のSNSとかでも同じことが言えていて、特にXになって収益化の事があるとより一層その辺りが顕著になり、なんだかfakeも、過去の投稿も、もはやパクりまくって、プロパガンダしまくってもお金が欲しかったり名誉が欲しかったりするもんだと、美しくない世界が広がる。

 

私は馬鹿みたいに実現しない妄想を日々投稿する。
これが実現してもおそらくまた違う何かが私の脳をジャックする。
欲とは果てしなく湧き上がるものである。

自分の求める世界観が脳みそにはそれなりに確立されていて、私の中ではそれなりの色合いやいびつさが相まっている。ああこれがこの人の世界なのねという世界は、あからさまに下劣なものもあれば、美しく象るものも存在する。

そのような脳内であるが故、例えばDJをしながらフロアに視線を向ける仕草、髪の毛をカットする際に手を頭部に固定をする仕草、電車の運転する配慮あるアナウンスや、ブレーキの踏み方、相手を縛る前の黒い瞳…等、その人の持ち合わせているものと場所がリンクする際に、エロさを感じる。

そして、それは理性的な鎧が外れた時にも思うものである。自分の内面に向き合っていたり、フェチなものに囲まれて嬉しい声が漏れる様、混ざり合って声が上ずりになる様、言語レベルが一気に対抗する様…全てが尊くて美しくて、エロなのである。

 

本当は世界中の皆に届けたくなる気持ちが沸き起こってしまうのだが、大勢の人にとってはそれは美しくもなければ、気持ち悪いものでもある。

私はそれを自分の宝物として、自分のこころと脳にしまい込む。

 

フェチズムの多くは、コレクターが多い。

自分の好きなものへの愛情は無限大なのである。

私はアイテムこそささやかなものしか所持していないが、私もまたコレクターなのである。
私の好きな人、センスのある人は大体はモニタリングするし、写真も何度も見るし、その人が見ようと見まいとも、私はテキストで綴り、ポストしたり、このような場所へ書いてWebの海の世界へ投げ込むのである。
私が誰かのコレクションになりたいように、私もまたひとりのコレクターなのである。いかにしてその人を私のそばに置くか…それは単に恋愛のような分かりやすい関係性でなくても良いのである。私の人生の中で、私との繋がりが途切れなければそれでいいので。

分かりやすい方法も取ることもあれば、そうでないこともあるけれどもね。

惜しみなく形を変え、黒い愛情を相手の器に注ぎ込む。

きっと、満杯になったら逢いたくなってしまう魔術をかけるかのごとくね。