夜、美術館にて。
昨日は仕事を終えて、六本木へ。
こちらに赴くのはバレエ リュス以来のこと。
あの時の作品では、ニジンスキーがとにかく美しくて、
CHANELのビデオを最後まで観たいと思った。
そして出来ればバレエ鑑賞を一度行ってみたいと
淡い願望を抱くも、それはまだ叶わず(笑)。
今回は、東山魁夷を鑑賞しに行ってきた。
東山魁夷の作品は、香川の美術館で観た際、緑と青の使われ方が
とにかく美しく、自然の深みを表現できるんだなあと思ったものだ。
今の私の歳で周りから認められ、数々の賞を受賞してもなお、
晩年になるまで、自分には才能があると思えなかったとか。
川端康成から変わりゆく京都の風景を残す必要性を言われ、
京都の風景を数々残す。
確かに、古都と今でも言われるが、大通りでは近代の文化が
存在し、あの時代の空気とはまた違う。
そんな川端が自死した際には、彼は何を思ったのだろうか…。
画家の作品は年齢とともに、想いやら知識やら経験が統合されていく。
80を超えた頃には、風景画に加え、神秘的な要素が加わるも、
ファンタジーには見えない。
年齢を重ねた人間にはこんな風に世界が見えるのかもしれないなあと思えた。
私が一番言葉を失ったのは、唐招提寺御影堂障壁画。
日本と中国の風景が壁画一面に広がっている。
荒波の描写から岸に向けて穏やかな波に表現されていく。
この波の描写よ。
作品と作品の真ん中に身を置いた時の圧巻さ。
吐き出す場所がないので、自分の健忘録としてこちらへ記す。