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何かを自由に表現できる才能がある人はとても素晴らしいと思う。
写真にしろ映像にしろ、音楽、ものづくりにしろ。
私はこの歳になってもまだ社会に存在していいのか思い悩む。
誰かの役に立っているのだろうか?
誰かの助けになっているのだろうか?
生きている理由は、大切な人との約束が果たせないまま、その人がいなくなってしまったから。
あとは家族や友人が悲しむから。
前向きな理由として、その人が味わうはずであろう世界をその人に代わって存在している。
それだけ。
大したスキルも能力もないけれども、一丁前に呼吸はできて、身体は動かして、働く、という事ができている。
いわば、只の埋没人間のひとりである。
埋没しているのに、変な部分の性的な欲求は人一倍あって、それが本当に厄介で仕方ない。
自分の身体から分離させて、トイレへ流してしまいたいくらい不必要だ。
少なくとも生きるにあたって、必要ではない。
10年くらい前、色々あったけれども私の顔を美しく撮ってくれた写真が今でも忘れられずにいた。
もうデータはない。
それを先日、たまたま撮ってもらえる機会があった。
存在に値しない自分、醜い自分を美しく撮ってくれた。
それがなんだかとても嬉しくって、ひとりで泣いた。
低い低い自己肯定に少し○がついた。
取り留めもなく書きなぐっている文章。
何の脈絡もない文章。
ただ何かを吐き出したい文章。
周囲の人が眩しくて、有り余る才能を尊敬するとともに、それがない自分が抱く嫉妬心。
来世ではもっと楽しめる人生でありますように。