fetish hole

18禁の内容です。フェチズムやSMに関するものと心の内面にフォーカスした内容が多いです。

自分の存在。

先日のこと、sexual minorityの方と発達障害持ちの方と

夜ご飯に行っていたときのこと。

世間的にはminorityなので、その人達の生きにくさを笑い話で聞いていた。

感覚過敏の辛さ(自転車の乗り心地の悪さ、広いスペースでの会話など)や

それに伴う自己肯定感の低さ。

 

話を聞く中で、私はなぜ幼い頃からこのような

場所へ自分の気持ちを吐露していたのか少し理解が進んだ。

 

私は彼や彼女のような目に見えるような生きにくさはないものの、

性的嗜好のおかげで随分頭を悩ませてきた。

そのおかげで、色々な機会を失うこともあれば、

絶対知り合わないような人達ともやり取りができている。

 

私は、世の中的でいうところの

「自分らしくありなさい」

「性的なものは公にするものではない、性的アブノーマル=性的には正常ではない」

がどのような概念であるのかは自分の中でよく理解しているし、

それを踏まえてどのように振舞えばいいのかを理解している。

 

だからこそ、表では決して話すこともないし、公に最適な振舞いをしている。

要は、本当の自分にうそをついて存在している。

自分らしく、自分らしくを追求すればするほど、本来社会的に

求められる自分とは乖離していく。

 

だから私はここで吐き出す。

私のブログの表現が独特で、そしてひとにぎりのコアなファンがいることを

私は承知している。

ちゃんとお話したことはないけれど、きっと私のどこかの部分で共感できる

からなのだろうと思う。

 

今のmajorityでは私の私らしくは不可能だ。

だから違う世界で、私は私らしくあろうと思う。

本当はこんなスペースに書くのではなく、5次元とか6次元の空間に

吐き出したいくらいだ。